怒られない時代の危機管理
初めてブログを読む人は
「言い方、悪いねー、品がないねー、きつい言い方ねー」と思うかも
知れない。賢い人は「この人は意図的にそう書いてるな?」と思って
くれていると思う。テクニック上そうしているとわかると思う。
例えば、日本に潜在的な数を入れれば数十万人を超えているとも言わ
れている不登校者や引きこもりの数の中には全くそうではない軽い症
状も多数含まれているという事実もある。親が寛大過ぎるという所も
ある。物分かりのいい保護者がいい保護者という誤解もあるだろう。
「学校行きたくない」、「じゃー行かなくていいよ、家にいたら」
だったら行かんだろ?、1日中スマホでYou tube見てるかも知れない。
保護者の方もわかっていると思うのだが、「怒られない時代」、
「怒ったら文句言われるからあえて無関心」、となると誰も避けて
しまうからね。気づくべき人間が気づくこともなくなる。
鈍感は人生の中で大きな損をすると思う。
「怒られない」というのは本人がものすごく損をしていると思う。
むしろ危険だとさえ言える。
怒られるべき時にそれが皆無状態ならそうだろ?
教育機関だってアンケート下げる位なら絶対にへそを曲げるような
ことは言わない。言ったら即解雇だ。トラブルを防ぐためだ。
だから言われるべき時に言われない若者は本当に損をしていると
思う。「怒られない=間違った道に放置状態」が成立する。
ただし、「言いたくても言えない状況」であることも半分認めたい。
この試験は最悪の失敗をすると転げ落ちる所まで転げ落ちてしまう
から言う時は言わないとえらいことになる。転げ落ちてから気づい
ても遅い。失った月日は絶対に戻って来ないからね。
怒る行為は疲れる行為でもある。いい気分もしない。マイナスの
エネルギーが必要になる。だから、無視する方が楽だと言える。
ただし、怒られない人間に囲まれている若者に成長と進歩はないと
言える。ここに気づくべきだと言える。
寛大な保護者がいい保護者とは限らない。
人生の中でピンチがゼロの状態で終わる人間はほとんどいない。
穴に落ちた時に「どうやって這い上がるか?」は教えておくべき
だと思う。親はいずれいなくなるから天国から助けたくても助け
られない。本人にサバイバル能力がないとまずいと思う。
教えるべきタイミングで教えておくべきことだと思う。